オキーフが選んだ終の棲家
ジョージア・オキーフは1934年から15年近くの間、ニューヨークとニューメキシコで二拠点生活をしていた。正確に言えば、ニューメキシコ州アビキューにあるゴーストランチだ。サンタフェからは北西に100kmぐらい離れている。

1949年にはニューヨークの家とスタジオをすべて引き払い、完全にゴーストランチに移り住んだ。
しかし、日干しレンガのアドビ建築は標高約2,000mの冬の極寒には不向きで、実際のところ暖かくなるまでの間はゴーストランチから20km程東へ下ったアビキューの中心地で過ごしたらしい。写真はその家のエントランスを写したもの。
ちなみに、ゴーストランチとアビキュー中心地の距離は約23km。車なら2~30分ぐらいで行き来できる程度だが、それでも環境の厳しいゴーストランチの家を手放さなかったのは、よほどその景色が気に入っていたのだろうと浅学なりに想像する。
ある1人の芸術家に終の棲家と決めさせる景色とはいかなるものか。ゴーストランチ、行かねばならぬ。謎の使命感にかられたところは、大いにあった。
見逃してしまいそうなアビキューの村
サンタフェ郊外のモーテルから1時間半ぐらいでアビキューに着いた。その日、朝から墨を刷毛で塗ったような曇天。午前9時でこの暗さである。

アビキューの中心地、とは言っても実際には人口200人にも満たない小さな村。とりわけ2013年当時は、この「アビキュー・イン」という宿ぐらいしか目立った建物はなかった。
国道から村に入ったところに実際オキーフが住んでいた家が保存されていて、要予約の見学ツアーなんかもある。あるのだけど、なぜだか当時の私は家そのものにまるで興味がなくて、とにかくゴーストランチに行かねばという強烈なモチベーションに突き動かされていた。今思えば謎だ。家、見とけばよかった。
諸行無常が肺腑にしみる
アビキュー・インの小さなロビーに、少しだけおみやげが置いてあった。そこで見つけたのがこの絵本。

表紙がとても素敵で、迷わず買った。今は家の玄関に飾ってある。
ちなみに2018年、アビキュー・インの隣に「The O’Keeffe: Welcome Center」という立派なウェルカムセンターができたらしい(私が行ったのは2013年)。同時にミュージアムストアやカフェまで併設されたようだ。
Googleマップの写真を眺めるに、かなり素敵な内装&品揃え。く、くやしい。
かつて行った場所が閉業などして衰微するのも悲しいが、こんなふうに拡充された知らせを聞くのもちょっと切ないものがある。
つくづく諸行は無常なのだな。
ゴーストが出そうなゴーストランチ
アビキュー・インからさらに西へ20分程車を走らせると、ゴーストランチに着く。

曇天オブ曇天。晴天率90%前後とも言われるニューメキシコで、しかもモンスーンシーズンを終えたばかりの9月末にこれほど曇ることってあるのだろうか。
実際、ニューメキシコ滞在1週間のうち、この日以外はずっと突き抜けんばかりの晴天だった。もしかすると相当レアな天気だったのかもしれない。

それにしてもこの辺りは赤い。地層に鉄分が含まれていて、錆びて赤く発色するのだそうだ。
一面の赤い大地が雲越しの陽光にかろうじて照らされて、なんとも言えずおどろおどろしい。そもそもゴーストランチの名前は、幽霊が出るという噂に由来しているという話。いつ現れてもおかしくない雰囲気だった。
そのうちいよいよ雨まで降ってきた。Tシャツではあまりにも寒くて、たまたま持参していた中綿入りのジャケットを着る羽目になった。
うーむ、なんか、これじゃない。
いや、オキーフだってきっとこんな天気を何度も経験しただろう。だけど、ファーストインプレッションはおそらくこれじゃなかったはずだ。だってオキーフはこう言ったのだ。
「This is my kind of world.(ここゴーストランチこそ、私にぴったりの世界だ)」
うってかわって晴天の再訪
殺伐としたゴーストランチをしおしおと立ち去って、その後はロスアラモスなどを観光したが、それはまた別の記事にしよう。
2日後、諦めきれず、もう一度ゴーストランチへ向かうことにした。

84号線にふたたび車を駆る。写真では表現しきれないけど、実際、このニューメキシコのスコーンと抜ける青空は本当に気持ちがいい。「空」というより「宇宙」だよな、と思ったりする。
はてさて、そんな碧空のゴーストランチはどうだったかといえば。

The 安息の地。
木漏れ日、さえずり、乾いた風、葉の揺れる音。ここに住もうと思わせる引力がたしかにある。
思えば、景色をトリガーにした移住ってのは、大いなるロマンじゃないか。いいなあ。オキーフはこの木陰で手紙でもしたためたりしただろうか。記憶の中のニューヨークが些末な挿絵みたいに感じられたかもしれない。救われたんだろうなあ。
好き勝手にそんなことを思い巡らせながら、私もしばらくこのイスから遠くの山を眺めた。
チムニーロックまで歩いてみることに
せっかくの天気だから、トレイルコースの一つ「チムニーロック・トレイル」を歩いてみることにした。
チムニーロックは、オキーフもたびたびモチーフにしたアイコニック的な岩柱。その名のとおり、煙突みたいな形をしている。

なお、トレイルを歩くためには、ウェルカムセンターで10ドルのデイパスを買ってチェックインする必要がある。

とは言っても、2013年当時はたしか無料だったような気がする。いや多少は支払いしただろうか。少なくとも10ドルよりは安かったような気がする。細かいことをまるで覚えていない。記憶なんてそんなもんだよな。
道なき道の先に
往復6km、所要2~3時間のトレイルコース。平日だったこともあって、道中すれ違ったのは2組だけ。ほとんどずっとソロトレイルだった。


道だかなんだかよく分からない踏み跡を「合ってる?」とつぶやきながら歩くのは、アメリカトレッキングあるある。
ちなみにだけどこのトレイル、2025年にルートが変更になったそうな。ハイカーの安全確保(土砂崩れ・滑落・落石リスクの回避)などが目的だそうで、もしかすると写真の道はもう旧道になったかもしれない。
そんなこんなで、小一時間でトレイルのゴールに着いた。終点は、ちょうどチムニーロックの裏側にあたる崖の上だった。
鳥ってこんな気分だろうか

チムニーロックの間から、遠くに青いペデルナル山が見える。オキーフが生涯で29回も描いた山だ。
「It’s my private mountain. It belongs to me. God told me if I painted it enough, I could have it.(あれは私だけの山。私のものよ。「この山を十分に描いたら、君にあげよう」神様はそう私に言ったの)」※
そう表現するほど、オキーフにとってある種精神的な支柱でもあった山。
チムニーロックからは20km近く離れているが、なんだかひとっ飛びにジャンプできそうな錯覚を覚えた。まばらに生え続く木々が、鳥の群れのV字飛行のように見えて、ふと自分も鳥になったのじゃないかと思ったのだ。
※ なお、この山はテワ族が古来神聖な場所としてきた土地である。「私だけの山」という表現がその存在を覆い隠しかねないため、オキーフ美術館やゴーストランチは、主にオキーフの視点で語られてきたこの土地の物語を見直す動きを始めている。
いつか私の「アビキュー」で
1986年、オキーフが98歳で亡くなった際、遺灰はペデルナル山の山頂から散骨されたのだとか。生前からの強い希望だったらしい。墓を作らず、愛する大地と一体になりたかったのだろう。彼女の希望が叶えられたことが、とてもうれしい。
散骨、憧れである。私にとっての「アビキュー」はどこにあるだろう。実はいまもずっと探しているのだ、そういう土地。いつか、ここだと思える場所が見つかったらいいなあ。

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