オキーフの心を支えた風景
ジョージア・オキーフが好きだ。作品もさることながら、彼女の佇まいや生き様に妙に惹かれるのだ。


当時ニューヨークで既に画家として認められていたオキーフ。しかし、オキーフのパトロンであり、また自身も写真家であった夫・スティーグリッツの不貞をきっかけに、ニューヨークから少しずつ距離を置き始める。
衰弱したオキーフの心を支えたのが、荒涼としたニューメキシコの景色だ。しばらく二拠点生活を続けていたが、夫の死後、完全にニューメキシコへと居を移した。
当時の夫婦観やアーティストの倫理観が、今とは異なるものであろうことはそれなりに想像がつく。ともあれ、少なからず抑圧されていたはずのオキーフを解放したのが、ニューメキシコの荒野だったわけだ。

景色が刺さる、景色が沁みる。そういうことはきっとある。オキーフにとってのそれは、どういう景色だったんだろう。
それでふと、私もニューメキシコに行ってみようと思った。2013年9月のことだ。
どうせならサンタフェを拠点に
よし、ニューメキシコだ。と決めたら、ついでに行きたいところが膨れ上がった。ニューメキシコといえばアリゾナのお隣。お、それなら2011年に行って感激したセドナも再訪できるのじゃないか。
などとあれこれ思案して、なんだかんだでこんな感じになった。延べ15、6日ぐらいの旅程だ。
JAL便 ロサンゼルス乗り継ぎ→ニューメキシコ州アルバカーキ夕方過ぎ到着
レンタカーを借りて、そのままサンタフェ郊外のモーテル「Super8」へ
Super8を拠点に、サンタフェ観光
オキーフが晩年暮らしたゴーストランチ観光(曇天)
マンハッタン計画が秘密裏に進められたロス・アラモス観光
ふたたびサンタフェ観光
もう一回ゴーストランチへ(晴天)
世界遺産、タオス・プエブロ観光
チマヨ織りで有名なチマヨ村
アルバカーキのダウンタウンをちょっと散策して、空港でいったんレンタカーを返却
そのまま空路でアリゾナ州フェニックスへ
ふたたびレンタカーを借りて、その足でウエスト・セドナの「Super8」へ
翌朝、車ではるばるキャニオン・デ・シェイへ
セドナに戻り、モーテル「Days Inn」を拠点に数日間観光
フェニックスから帰国
ちなみにその頃、仕事の契約が満期終了して、時間だけはいくらでもあった。さすがに今こんな旅程は組めない。寂しいけれど。
さて。旅程の羅列だけでかなりのボリュームになった。
スマホを遡ったら、当時の写真もいくらか残っている。せっかくなので、覚えている限りを記録としてまとめておこう。長くなるので、たぶん記事は小分けになるかもだけど。
伊丹 成田 ロス アルバカーキ
スマホの写真フォルダを眺めると、行きのJALの飛行機の写真が残っていた。9月25日16:45。雨。位置情報は成田。

私は関西在住だから、つまりどうやら伊丹から成田を経由してアルバカーキに行ったらしい。当然アルバカーキ直行便はないので、おそらくロサンゼルスで乗り継ぎしたのだと思う。
関空からロサンゼルスに直行しなかったのは、成田経由が安かったからなのだろうか。謎。
で、夕方頃アルバカーキに着いた。レンタカーをチェックアウトして、その足でサンタフェへ向かったのははっきりと覚えている。
というのも道中、陽が落ちて道が真っ暗になったのだ。もう本当に真っ暗。暗闇。いや、国道ですよ? 国道は明るいはずだというのは、ある種のバイアスだったのだな。思わぬカルチャーショックだった。いやはや、見知らぬ土地のリアル一寸先は闇状態、めちゃくちゃ怖かった。
この時、二度と夜は走るまいと決めて、以来、夕方に空港に着いたらひとまず付近で一泊するようになった。いくつになっても人生は勉強である(当時アラサー)。

スペイン統治時代の面影残るサンタフェ
翌朝、宿のすぐ近くのスーパーで、おされアイス「Talenti」に遭遇。たしかこの時が初Talentiだったはず。美味すぎた。

ちなみにGoogleマップによれば、当時泊まった格安モーテルチェーン「Super8」は、今別のモーテルに変わっている。Talenti愛の萌芽したスーパーも今やフィットネスジムに。まーね、13年前だものな。そりゃ町だって変わる。

さて。郊外のモーテルからサンタフェのダウンタウンへは車で12、3分ぐらい。有料駐車場に車を停めて、早速町を散策することに。
サンタフェは1600年代にスペインによって建設された町で、その後1800年代にメキシコ領となり、その後アメリカに割譲された。しかし、もともとはネイティブアメリカン(プエブロ族)の土地だ。

現在でも当時の建物が残っていたり、また、町全体が日干しレンガのプエブロ風建築(アドビ建築)に統一されていたりして、景観が美しく保護されている。

ちなみに中心地には「ラ・フォンダ」や「ラ・ポサダ」などの由緒あるホテルもある。私はもっぱら節約モーテル旅だけど、ホテルステイにこだわりをお持ちの方はこういう歴史的なホテルを選ぶのもいいと思う(私もほんとは泊まってみたい)。

それにしても異国情緒に溢れていて、ぶらぶらと歩いているだけで旅情の高まる町だった。決して大きくはないけれど、2日かけてのんびりと散策をした。ここでいくつかまとめて紹介しておこう。
セント・フランシス大聖堂

1869〜1887年、フランス・イタリアの職人によって建てられた、ロマネスク・リバイバル様式の大聖堂。
入り口の前には、北米先住民として初めてカトリックの聖人に列聖された女性、聖カテリ・テカクウィタの像が立っている。

ロレット礼拝堂

1878年、ロレット修道女会が経営する女学校の礼拝堂として建てられ、現在は博物館や結婚式場として運営されている。
有名なのは「奇跡の階段」と呼ばれる螺旋階段。なんと支柱がない。釘や接着剤も使わず木製の楔だけで組まれている。


サン・ミゲル・チャペル

1610〜1626年頃、スペイン宣教師の指導のもとで建てられた、アメリカ本土最古とされる教会。現在の建物は1710年に再建されたもので、今も定期的にミサが行われる現役の教会だ。

木彫りの祭壇衝立や天井の梁が歴史の重みを感じさせる。素朴ながら厳かで、いつまでも座っていられそうなぐらい落ち着く教会だった。
ジョージア・オキーフ美術館
それからもちろん「ジョージア・オキーフ美術館」にも行ったのだけど、正直に言うとあまり覚えていない。外観の写真も撮っていない。
こじんまりとした美術館で、展示作品も思ったより多くなかった印象がある。
私の中でのメインイベントは、オキーフが終の棲家としたアビキューやゴーストランチ(サンタフェからは80km以上離れている)だったから、まだなんとなく「ココじゃない」感じだったんだろうな。
思いのほか美食の町でもあった
ちなみに、サンタフェのダウンタウンで食事をしたのは3度ほどだったけど、どのお店も美味しかった。
ろくな写真が残っていないが、これまた一応記録しておく。
La Plazuela At La Fonda

ラ・フォンダ・ホテル内にあるレストラン。1920年代築のパティオ部分をそのまま利用した店内で、ニューメキシコ料理を楽しむことができる。
大きな木に囲まれた素敵なテーブルだった。訪れたのは夜だったけど、天窓から光の入る明るい時間に来るのもいいかもしれない。
夜の薄暗い照明かつ超拡大写真しか残っていないのが残念。
Clafoutis

フランス人パティシエが営むベーカリー&レストラン。プロヴァンス風オムレツやキッシュなどの本格フレンチが楽しめる。
このお店、2013年当時はダウンタウンを少し外れた北西の一角にあった。現在別のお店に変わっているので、閉業しちゃったのかなーと思ったのだけど、よくよく調べてみると拡大のために移転したという話だった。
閉業どころかむしろ拡大。人気でなにより。たしかに当時も少し入店に並んだものな。キッシュ以外のメニューもぜんぶ美味しそうだったなあ。
Cafe Pasqual’s

1905年に建てられたアドビ建築の建物で1979年開業したニューメキシコ料理店。オーガニック・地産食材へのこだわりが特徴で、地元の人たちにも長く愛されている。
実はここは、2016年にサンタフェを再訪した時に行ったお店だ。
コクのあるグリュイエールチーズをハッシュドポテトに混ぜ込んで、スモークサーモンを合わせた一皿。もはや食べる前から美味かった。
と、サンタフェの思い出はいったんこの辺りだろうか。他にも素敵なお店がたくさんあって、ウィンドーショッピングだけでもぜんぜん飽きなかった。さすがアメリカの国内投票で「全米ベストシティ」1位に選ばれただけのことはある。
事実、この時私もしっかり気に入って、3年後の2016年に再訪することになるわけで。ネイティブアメリカンの文化や、荒野のドライブや、ピリ辛料理や、ちょっと変化球の旅が好きなら、わりとおすすめの町です。
さて、次回はいよいよオキーフゆかりのアビキューとゴーストランチへ。旅行記はまだまだ続く。

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